――可愛すぎるそんな声が聞こえて唇に何かが触れる。あ、……また、キスされた。セカンドキス……?バタンとドアが閉まる音。鍵がポストに落とされる音。朝が来て、紫藤さんが帰ってしまったんだ……。体をゆっくり起こしてテーブルを見ると、メモがある。『明日から二週間ほど海外ロケが入って、会いに来られないから。いい子にして待ってろよ』二週間も会えない。理解すると涙がポロッと落ちた。「寂しい……」そっとつぶやいてメモを胸に抱きしめた。「紫藤大樹さん……。会いたいよ」そのメモを捨てることがなんとなくできなくて、最近気に入っている作家の恋愛小説にそっと挟んだ。ページをめくって読んでみる。――心臓の位置がわかるほど、ドキンドキンと胸をうつ鼓動。わたくしは、あの男性に会うといつもそんな風になるのです。気がつかないふりをしておりましたが、もう、目を背けないことに致します。わたくしは、あなたを好きです。愛おしく思っているのです――まるで私の心と同じだ。私の心のことを書かれているようで恥ずかしくなった。紫藤さんのことが好きなんだ。私は彼に恋をしてしまったようだ。でも、この好きという気持ちをどうすればいいかわからない。彼は夢を追いかけている新人の芸能人だ。もしこれから先どんどん売れていけば恋愛を禁止されてしまうかもしれない。そんな人に私は好きですなんて言ってもいいのだろうか。せっかくはじめて人を好きになったのに……。私の胸の中には切なさがどんどんと膨らんでいた。
*「それは、間違いありません。恋ですね。美羽はその彼を好きになってしまったのです」講義を終えて近くのカフェでお茶をしている私と真里奈。真里奈に紫藤さんに会えなくて寂しいと伝えると、まるで学校の先生のように言った。「いいじゃん。素直に好きだって思えば?」「……でも、のめり込んでいきそうで怖いの。空いた時間があれば、彼のことばかり考えているんだもん」「それが恋っていうの。で、その人ってイケメン?」コクっとうなずく。「でも、カッコイイから好きになったんじゃないの。なんて言うか、魅力的なの。……いい人だし、とにかくすべて……好き。ちょっとマイペースなところはあるけど一言一言、彼の言葉に考えさせられるというか……彼の表情とか仕草とか頭の中に残るの」好きという言葉を口にするだけで顔が熱くなってしまう。恥ずかしくて顔を両手で抑えると、真里奈はケラケラと笑っている。「いいねぇ。初恋かー」これが、恋なのか。次会える時は、可愛い服を着て綺麗にメイクした状態で会いたいな。恋すると、よく見られたくなっちゃうんだってはじめて知った。「でもね。彼、好きな人ができたみたいなの」「えー。なにそれ。好きな人がいるのに美羽の家に来るの? それって、美羽のことが好きなんじゃなくて?」「えっ」ポワンっと音がして頭に花が咲いた気分だった。ま、まさか。「ありえないよっ」カラオケで見たあの綺麗な人に恋をしているはずだ。「美羽が恋する準備ができてないと思って待っているのかもよ。美羽から告白しちゃいなよ」軽い口調で言う真里奈を睨む。「好きっていう気持ちが心にあるだけでも余裕がないの。好きなんて言えないよ」「ま、ゆっくりでいいけど。イケメンなら誰かに取られちゃうよ」
今日で海外に行って二週間が過ぎた。ファミレスでバイトをしながら帰ってきたとメールが来ないかそわそわしていた。バイトを終えて家に戻ってシャワーを浴び終えた。熱い夜でキャミソールとショートパンツという格好で麦茶を飲んでいるその時、チャイムが鳴る。きっと紫藤さんだと思ってドアを開けると、会いたくてたまらなかった紫藤さんがいた。「美羽、ただいま」「……ど、どうして、来るって連絡くれないんですか?」私は自分のみすぼらしい姿が恥ずかしくて泣きそうになり、責めるような口調で言ってしまう。玄関の中に入ってきた紫藤さんは驚いた顔だ。来るってわかっていたら、可愛い服を着てメイクをして待っていたのに。「突然来ちゃ駄目なわけ?」「……だって、だってっ」「なんでイライラしてんの? 寂しかったか?」「……べ、べつに、寂しくなんか……ないです」オドオドしていると長い腕が伸びてきて抱きしめられる。包み込まれると切なくて愛しくて涙がボロボロ溢れた。「美羽、ただいま」「……っ」「お帰りなさいは?」「お、お帰りなさい……」「いい子。ちゃんと待ってたんだね。お土産いっぱいあるよ」優しく言われて私はすんなりと、中へ入れてしまった。「そういえば、この前のキスで息苦しいのは収まった?」首を横に振る。「そう。重症だね」何も言えずにソファーに腰をかける。なんだか、視線を向けられると体が反応する気がしてクッションを抱えた。「防衛? 何もしないって」買ってきてくれたプレゼントを差し出されて受け取る。「開けてみ」と言われて開けてみた。綺麗な景色が写っているポストカード。「綺麗」「綺麗だろ」優しく笑って隣に座ってきた紫藤さんは、私の肩に頭を乗せてきて甘えるような仕草をする。「疲れたよ。美羽……」吐息のような声と頭の重み。それまでもが愛しく思ってしまうのは、重症なのだろうか。「ゆっくり休んでください」「美羽の膝枕で?」「えっ?」イエスと言っていないのに、紫藤さんは私の膝に頭を乗せてくる。綺麗な顔を上から覗き込むと、ドキドキが激しくなるのだ。足の長い紫藤さんは、ソファーから足をはみ出した状態。窮屈そうだから布団に行くようにおすすめする。「お布団のほうが楽ですよ」「いいね。添い寝もいい」 セクシーな笑みを浮かべられてドキッとする。紫藤さんは、起き上
はじめて紫藤さんの家に足を踏み入れる日が来た。朝から緊張でたまらなかったけど、楽しみでもあった。男の人の家に足を踏み入れるということはある程度は覚悟を決めてお邪魔することにした。2LDKで綺麗に片付けられている。一人で暮らすには広い。「広いですね」「ああ。財産は両親と兄が残してくれたからね。一緒に住もうか?」「ま、まさか」「冗談だって。適当に座って」「……はい」ソファーの端っこに座って小さくなっていると、紫藤さんはオレンジジュースを出してくれる。いただきますと言ってコップを持つが緊張して、手が震える。「美羽が嫌がることはしないから緊張しなくていいんだぞ」夕日が差し込んできて紫藤さんの横顔を照らす。素敵すぎていつまでも見つめていたい。リードしてくれる性格も好きだ。心の中では好きだと言えるのに、どうして口には出せないのだろう。きっと、カラオケにいた女性が気になっているからだ。「新鮮だね。美羽がここにいるなんて」「そうですね」「来月からはレコーディングで忙しくなるから、たまにしか会えないけどな。缶詰状態でレコーディングしたいプロデューサーでさ。参るよね」また会えなくなるのか。寂しい。「夜中にお仕掛けに行くわ。男連れ込むなよ」「ありえないですよ。私なんかと付き合ってくれる人いません。胸も小さいし……」「なんだそれ」話をしていると日が暮れて、一度つけた電気をまた消してから窓から外を覗くことになった。窓際に置かれたソファーに膝立ちをして、背もたれに体重をかけつつ並んだ。肩がぶつかるほど近い距離に、一人胸をトキメカせて空を見上げる。光が上がってドンっと音がするのと同時に、火の花が咲く。遠目だけどしっかり見えてとっても綺麗だ。「穴場スポットですね」「だろ?」至近距離で目が合ってしまい、思わずフリーズしてしまった。数秒間、空ではなく紫藤さんを見つめる。街の灯で薄っすらと表情が見えて、花火が上がると一瞬明るくなってハッキリ見えた。「どうしたの?」「い、いえ」紫藤さんの甘い声での問いかけに、膝から崩れそうになった。こんな経験したことがなくて、変な気分だ。顔がだんだんと近づいてきて、キスされた。くすぐったくて鼻から甘い声が出てしまう。そして私は力が抜けてソファーに正座してしまった。「熱いね、ほっぺ」頬を手のひらで包
ゆっくりと唇にキスが降ってくる。朦朧とする。必死でキスを受け止めた。「……抵抗、しないんだな」キスが止まって質問される。逃げようだなんて、まったく思わなかった。本当は好きって言ってもらいたい。今は紫藤さんともっとくっつきたいって思う。でも素直に言葉にできず何も答えられなかった。もう一度キスをされ今度は首筋にキスが落ちてきた。固まったまま、紫藤さんを見つめる。付き合っていない人とこんなことしていいの?すごくイケないことをしている気がする。プチン、プチンとボタンが外されていく。恥ずかしくて手で隠す。紫藤さんは顎のラインを撫でてきた。あまりにも優しいタッチだったからゾクッとしてしまう。「怖いのか?」「……わかりません」「どうする?」聞いてくるなんて、ずるい。紫藤さんと離れたくない。カラオケにいたあの女性のように色っぽくなりたい。切実に大人になりたい。不安を押し殺しながら私はうなずいた。「俺に委ねろ。余計なことは考えるな」すべて任せよう。どんな未来になっても後悔しない。そう思うと緊張がほぐれてきた。まるで固く結ばれた紐が緩んでいくような。紫藤さんの指は、素肌をなぞっていく。くすぐったくて思わずフフって笑うと「余裕あるじゃん」って言われて、胸の膨らみを優しく揉まれた。大きな手で触れられるのは、不思議な感触で何とも言えない。ボタンは途中まで取れていたけど、まだワンピースは着たまま。袖から腕を抜かれ手を脱がされ、下着だけになった。恥ずかしい。クーラーは効いていて涼しいけど、体は汗ばむ。じっと見つめられると、トク、トク、トクって心臓の動きが速くなって、さらに体温を上げていく。紫藤さんは自らのTシャツを脱ぐ。相変わらずスタイルがいいなと見惚れていると、覆いかぶさってきた。紫藤さんに頭を撫でられて、キスをされる。そのキスはだんだんと下がっていき、敏感な部分を刺激する。余裕がなくなってきた私は、呼吸が乱れるのだ。はじめての経験なのに、紫藤さんに触れられていると思ったらすごく幸せ。「俺にも触れて」わからないことだらけだったけど、必死だった。紫藤さんの幸せそうな顔を見ていると、胸がくすぐられるように幸せな笑みが溢れてしまう。あぁ、私――この人のことが大好きって思った。紫藤さんは、すごく優しかった。今までに
* * *土日に出張なので、月・火と代休をもらった。平日の休みは新鮮で普段は見ない昼の情報番組を見ていると、大くんがゲストとして出ていた。番組の宣伝のようだ。結局、夜までだらだらと過ごしてしまった。「そろそろ、準備しないとね」ひとり暮らしにしては、大きい押し入れを開けて中に入る。四日後に迫った撮影のため、旅行キャリーを出しているのだけど――……。「あれ、こんな、奥にしまったっけなぁ」旅行なんてほとんどしてないしねー。ちゃんと片付けておけばよかったわ。おいしょ。バサバサッ。「痛いっ」上から落ちてきた古い本。あぁ、懐かしい。その本をペラペラとめくっていると、メモが出てきた。『明日から二週間ほど海外ロケが入って、会いに来られないから。いい子にして待ってろよ』大くんの字だ……。はじめてキスをされた日に泊まった時のメモだった。メモの裏には私の字で『六月二十八日』って書いてある。人生はじめてのキスの日を忘れたくなかったのかもしれない。懐かしい。あの時は、好きだって思うだけで精一杯でそれ以上のことは望んでいなかった。ただ会えればいいって思うだけだったのだ。なのに、いつからだろう。大くんのすべてを知りたくなって、すべてが欲しくなった。恋に憧れて恋を知って恋の甘さに溺れて、恋の苦味を知った。人を好きになれば、嫉妬心が湧き上がってくることもあって、綺麗なままの心ではいられない時もあった。はじめて交わった日は、花火大会の日だった。痛みと、快感と、好きな気持ちが入り乱れて終った後は、なんだか気まずかった。裸になっている自分が恥ずかしくてたまらなかったけど、すぐに起き上がって着替える体力も残ってなくて。大くんは、私を濡れたタオルで綺麗に拭いてくれたんだっけ。そして、タオルケットで体を包んでくれてこう言ったの。「ベッドに連れて行く余裕なかった。ごめんな、はじめてがソファーって」気だるそうに笑っていたよね。あの頃、思いを伝えることができなくて不安だったけど、いつもそばにいることができて、幸せだったな。スマホが鳴って現実世界に引き戻される。電話の相手は真里奈だった。明日の夜、会社近くで会う約束をした。
「おはようございます」「おはよう。初瀬、これ、頼まれてくれる?」「はい。わかりました」「よろしく頼んだぞ」出社すると、すぐに仕事を頼んでくる杉野マネージャーは、今日もスーツを着こなしている。颯爽とした姿も素敵だ。デキる男って感じ。「なんか、杉野マネージャーって美羽のこと、お気に入りだよねー」千奈津がつぶやいた。何を言っているのだ。仕事だからでしょ。と、言い返そうと思ったのに先日の言葉を思い出して、言葉に詰まってしまった。――可愛いなって想った子しか連れてこない隠れ家的な場所なんだ。「ん? なんかあったの? 怪しい」千奈津は探偵のように目を細めてくる。まるで謎解きをしようとしているみたい。「そ、そんなことないよ」「でも、美羽も杉野マネージャーのこと、ちょっといいかもって思っているでしょ? 仕事もできるし男前。人気もあるし。それに、お似合いだよ」「えっ」大くんと離れ離れになってから、男性なんか目に入らなかった。でも、杉野マネージャーのことは、少しだけ男の人だと意識している。それはきっと、両親が私に結婚を勧めてくるからだろう。結婚するなら杉野マネージャーなら優しい父親になりそうだからだ。過去まもう忘れて新たな人生を歩んでもいいんじゃないかと母は言う。いつまでも独りで居る娘のことを心配して言ってくれているのだろうけれど、そんな簡単に運命の人には出会えない。『お見合いをしてみたらどう? 誰か素敵な人がいないか紹介してもらおうか?』母にそう言われたけれど私は曖昧に笑ってごまかした。はなのことを、大くんを胸の中にある状態で別の男性と結婚して家庭を築くなんて私にはやっぱりできないと思った。仕事が定時に終わり、退社準備をする。「デートか?」杉野マネージャーが話しかけてきた。「まさか。大学時代の友人と食事するんです」「そっか。あまり呑み過ぎるんじゃないぞ」優しい視線を注いでくれたから、素直に「はい」と返事をした。その様子を見ていた千奈津はクスッと笑っている。絶対に変な想像をしていそう。弁解したかったけど、時間が迫っているのでそのまま退社した。
真里奈が予約してくれていた場所に向かう。彼女はいつもおしゃれな場所を探してくれていて料理もすごく美味しい。今日の待ち合わせは駅から近くにあるイタリアンだった。そんなに仕切りが高くないので気軽な気持ちで食事をすることができそうだ。「お待たせ」店に入って名前を告げるとすでに真里奈が到着していた。二人掛けの丸いテーブルに向かい合って腰をかけ白ワインを注文した。久しぶりに二人でゆっくりと食事ができて嬉しい。料理が運ばれてきて食べてみるとやっぱり美味しかった。「真里奈の選ぶ店はいつもセンスがいいね」「どうもありがとう。リサーチに命かけてるから」にっこりと自慢げに笑うので私は面白くてついつい声を上げて笑った。話題は恋愛のことになり、杉野マネージャーの話を真里奈にする。「それ、オフィスラブじゃん。素敵な上司と会社で恋愛なんて漫画みたいで憧れなんだけど」そう言った真里奈はワインをゴクッと呑んだ。「美羽、もう二十八歳なのよ。もうすぐ二十九歳。過去のことは忘れて新たな人生を歩もうよ」「お母さんみたい、真里奈」「なにそれ」大胆で引っ張ってくれる真里奈の性格が大好きだ。真里奈といればどんどん真っ直ぐ進める気がする。「母からも同じようなこと言われたんだよね」「でも、マネージャーに付き合ってとか好きとか言われたわけじゃないし、やっぱり過去のことは簡単には忘れられない」真里奈は難しそうな表情をする。「まずはプライベートで会うことが大事なんじゃない?」「うーん。あまりそういう気分じゃないかな」「別にこのことは言わなくてもいいと思うし。永遠に秘密にしてもいいんじゃないかな」真里奈の言ってくれていることは心から理解できる。でも……もしも、新しい誰かを愛する日が来た時に、大くんと比べてしまうなんてことはしたくない。だから完全に自分の心の中から消すことができなければほかの誰かと恋愛なんて無理なのだ。「熱愛報道出てたよね」質問されて私はうなずいた。「芸能人のことだからどこまで本当でどこまでが作り話なのかわからないけれど……。もう十年前のことだし、紫藤大樹だって三十歳でしょ。結婚を考えている人がいるかもしれないよ」「そうかもね。そうだったら、それでいい。彼が笑顔で毎日過ごすことができているならそれでいいの」「それなら美羽も前に進んで行くべきなんじゃないの?」
それは覚悟していたことだけど、実際に言葉にされると本当にいいのかと迷ってしまう。たとえ俺たちが全員結婚してしまったとしても、音楽やパフォーマンスを楽しみにしてくれているファンもいるのではないか。解散してしまうと『これからも永遠に応援する』と言ってくれていた人たちのことを裏切るのではないかと胸の中にモヤモヤしたものが溜まってきた。「……そうかもしれないな。いずれ十分なパフォーマンスもできなくなってくるだろうし、それなら花があるうちに解散というのも一つの道かもしれない」赤坂が冷静な口調で言った。俺の意見を聞きたそうに全員の視線が注がれる。「俺たちが結婚してもパフォーマンスを楽しみにしてくれている人がいるんじゃないかって……裏切るような気持ちになった。でも今赤坂の話を聞いて、十分なパフォーマンスがいずれはできなくなるとも思って……」会議室がまた静まり返った。こんなにも重たい空気になってしまうなんて、辛い。まるでお葬式みたいだ。 解散の話になると無言が流れるだろうとは覚悟していたが、予想以上に嫌な空気だった。芸能人は夢を与える仕事だ。 十分なパフォーマンスができているうちに解散したほうが 記憶にいい状態のまま残っているかもしれない。 「解散してもみんなにはうちの事務所に行ってほしいって思うのは私の思いよ。できれば、これからも一緒に仕事をしていきたい。これからの時代を作る後輩たちも入ってくると思うけど育成を一緒に手伝ってほしいとも思ってるわ」社長の思いに胸が打たれた。「解散するとして、あなたたちは何をしたいのか? ビジョンは見える?」質問されて全員頭をひねらせていた。
そして、その夜。仕事が終わって夜になり、COLORは事務所に集められた。大澤社長と各マネージャーも参加している。「今日みんなに集まってもらったのは、これからのあなたたちの未来について話し合おうかと思って」社長が口を開くと部屋の空気が重たくなっていった。「大樹が結婚して事務所にはいろんな意見の連絡が来たわ。もちろん祝福してくれる人もたくさんいたけれど、一部のファンは大きな怒りを抱えている。アイドルというのはそういう仕事なの」黒柳は壁側に座ってぼんやりと窓を見ている。一応は話を聞いていなさそうにも見えるが彼はこういう性格なのだ。赤坂はいつになく余裕のない表情をしていた。「成人もリュウジも好きな人ができて結婚したいって私に伝えてきたの。だからねそろそろあなたたちの将来を真剣に話し合わなければならないと思って今日は集まってもらったわ」マネージャーたちは、黙って聞いている。俺が結婚も認めてもらったということは、いつかはグループの将来を真剣に考えなければならない時が来るとは覚悟していた。時の流れは早いもので、気がつけば今日のような日がやってきていたのだ。 「今までは結婚を反対して禁止していたけれど、もうそうもいかないわよね。あなたたちは十分大人になった」事務所として大澤社長は理解があるほうだと思う。過去に俺の交際を大反対したのはまだまだ子供だったからだろう。どの道を進んでいけばいいのか。考えるけれど考えがまとまらなかった。しばらく俺たちは無言のままその場にいた。時計の針の音だけが静かに部屋の中に響いていた。「俺は解散するしかないと思ってる……」黒柳がぽつりと言った。
今日は、COLORとしての仕事ではなく、それぞれの現場で仕事をする日だ。 その車の中で池村マネージャーが俺に話しかけてきた。「実は映画監督をしてみないかって依頼があるのですが、どうですか? 興味はありますか?」今までに引き受けたことのない新しい仕事だった。「え? 俺にそんなオファーが来てるの?」驚いて 思わず 変な声が出てしまう。演技は数年前から少しずつ始めてい、てミュージカルに参加させてもらったことをきっかけに演技の仕事も楽しいと思うようになっていたのだ。まさか 映画監督のオファーをもらえるとは想像もしていなかった。「はい。プロモーションビデオの表情がすごくよかったと高く評価してくれたようですよ。ミュージカルも見てこの人には才能があると思ったと言ってくれました。ぜひ、お願いしたいとのことなんです。監督もしながら俳優もやるっていう感じで、かなり大変だと思うんですが……。内容は学園もので青春ミステリーみたいな感じなんですって。新人俳優のオーディションもやるそうで、そこにも審査員として参加してほしいと言われていますよ」タブレットで資料を見せられた。企画書に目を通すと難しそうだけど新たなのチャレンジをしてみたりと心が動かされたのだ。「やってみたい」「では早速仕事を受けておきます」池村マネージャーは早速メールで返事を書いているようだ。新しいことにチャレンジできるということはとてもありがたい。芸能関係の仕事をしていて次から次とやることを与えてもらえるのは当たり前じゃない。心から感謝したいと思った。
大樹side愛する人との平凡な毎日は、あまりにも最高すぎて、夢ではないかと思ってしまう。先日は、美羽との結婚パーティーをやっと開くことができた。美羽のウエディングドレス姿を見た時、本物の天使かと思った。美しくて柔らかい雰囲気で世界一美しい自分の妻だった。同時にこれからも彼女のことを命をかけて守っていかなければならないと感じている。紆余曲折あった俺たちだが、こうして幸せな日々を過ごせるのは心から感謝しなければならない。当たり前じゃないのだから。お腹にいる子供も順調に育っている。六月には生まれてくる予定だ。昨晩は性別もわかり、いよいよ父親になるのだなと覚悟が決まってきた気がする。女の子だった。はなの妹がこの世の中に誕生してくるのだ。子供の誕生は嬉しいが、どうしても生まれてくることができなかったはなへは、申し訳ない気持ちになる。母子共に健康で無事に生まれてくるように『はな』に手を合わせて祈った。手を合わせて振り返ると隣で一緒に手を合わせていた美羽と目が合う。「今日も忙しいの?」「うん。ちょっと遅くなってしまうかもしれないから無理しないで眠っていていいから」美羽は少し寂しそうな表情を浮かべた。「大くんに会いたいから起きていたいけど、お腹の子供に無理をかけたくないから、もしかしたら寝ているかもしれない」「あぁ。大事にして」俺は美羽のお腹を優しく撫でた。「じゃあ行ってくるから」「行ってらっしゃい」玄関先で甘いキスをした。結婚して妊娠しているというのにキスをするたびに彼女はいまだに恥ずかしそうな表情を浮かべるのだ。いつまでピュアなままなのだろうか。そんな美羽を愛おしく思って仕事に行きたくなくなってしまうが、彼女と子供のためにも一生懸命働いてこよう。「今度こそ行ってくるね」「気をつけて」外に出てマンションに行くと、迎えの車が来ていた。
少し眠くなってきたところで、玄関のドアが開く音が聞こえた。立ち上がって迎えに行こうとすればお腹が大きくなってきているので動きがゆっくりだ。ドアが開くと彼は近づいてきて私のことを抱きしめる。「先に寝ていてもよかったんだよ」「ううん。大くんに会いたかったの」素直に気持ちを伝えると頭を撫でてくれた。私のことを優しく抱きしめてくれる。そして、お供えコーナーで手を合わせてから、私は台所に行った。「給食食べる?」「あまり食欲ないから作ってくれたのなら朝に食べようかな」やはり夜遅くなると体重に気をつけているようであんまり食べない。この時間にケーキを出すのはどうかと思ったけれど、早く伝えたくて出すことにした。「ケーキ作ったの?」「うん……。赤ちゃんの性別がわかったから……」こんな夜中にやることじゃないかもしれないけど、これから生まれてくる子供のための思い出を作りたくて思わず作ってしまったのだ。迷惑だと思われてないか心配だったけど、大くんの顔を見るとにっこりと笑ってくれている。「そっか。ありがとう」嫌な表情を全くしないので安心した。ケーキをテーブルに置くと私は説明を始める。ケーキの上にパイナップルとイチゴを盛り付けてあった。「この中にフルーツが入ってるの。ケーキを切って中がパイナップルだったら男の子。イチゴだったら女の子。切ってみて」ナイフを手渡す。「わかった。ドキドキするね」そう言って彼はおそるおそる入刀する。「イチゴだ!」お腹の中にいる赤ちゃんの性別は女の子だったのだ。「楽しみだね。きっと可愛い子供が生まれてくるんだろうな」真夜中だというのに今日は特別だと言ってケーキを食べて、子供の話をしていた。その後、ソファーに並んで座った。大きくなってきたお腹を撫でてくれる。「元気に生まれてくるんだぞ」優しい顔でお腹に話しかけていた。その横顔を見るだけで私は幸せな気持ちになる。はなを妊娠した時、こんな幸福な時間がやってくるとは思わなかったのだ。「名前……どうしようかなって考えてるの」「そうだな」「はなにしようかなと思ったけれど……『はな』は『はな』なんだよ。お腹の中の赤ちゃんははなの代わりじゃない」大くんは納得したように頷いていた。「それはそうだよな」「画数とかも気になるしいい名前がないか考えてみるね」「ありがとう。俺
美羽side結婚パーティーを無事に終えることができ、私は心から安心していた。私と大くんが夫婦になったということをたくさんの人が祝ってくれたことが、嬉しくて ありがたくてたまらなかった 。しかし私が大くんと結婚したことで、傷ついてしまったファンがいるのも事実だ。アイドルとしては、芸能生活を続けていくのはかなり厳しいだろう。覚悟はしていたのに本当に私がそばにいていいのかと悩んでしまう時もある。そんな時は大きくなってきたお腹を撫でて、私と大くんが選んだ道は間違っていないと思うようにしていた。自分で自分を肯定しなければ気持ちがおかしくなってしまいそうになる。あまり落ち込まないようにしよう。大くんは、仕事が立て込んでいて帰ってくるのが遅いみたい。食事は、軽めのものを用意しておいた。入浴も終えてソファーで休んでいたが時計は二十三時。いつも帰りが遅いので平気。私と大くんは再会するまでの間、会えていない期間があった。これに比べると今は必ず帰ってくるので、幸せな状況だと感で胸がいっぱいだ。今日は産婦人科に行ってきて赤ちゃんの性別がはっきりわかったので、伝えようと思っている。手作りのケーキを作ってフルーツの中身で伝えるというささやかなイベントをしようと思った。でも仕事で疲れているところにそんなことをしたら迷惑かな。でも大事なことなので特別な時間にしたい。
「そんな簡単な問題じゃないと思う。もっと冷静になって考えなさい」強い口調で言われたので思わず大澤社長を睨んでしまう。すると大澤社長は呆れたように大きなため息をついた。「あなたの気の強さはわかるけど、落ち着いて考えないといけないのよ。大人なんだからね」「ああ、わかってる」「芸能人だから考えがずれているって思われたら、困るでしょう」本当に困った子というような感じでアルコールを流し込んでいる。社長にとっては俺たちはずっと子供のような存在なのかもしれない。大事に思ってくれているからこそ厳しい言葉をかけてくれているのだろう。「……メンバーで話し合いをしたいと思う。その上でどうするか決めていきたい」大澤社長は俺の真剣な言葉を聞いてじっと瞳を見つめてくる。「わかったわ。メンバーで話し合いをするまでに自分がこれからどうしていきたいか、自分に何ができるのかを考えてきなさい」「……ありがとうございます」俺はペコッと頭を下げた。「解散するにしても、ファンの皆さんが納得する形にしなければいけないのよ。ファンのおかげであなたたちはご飯を食べてこられたのだから。感謝を忘れてはいけないの」大澤社長の言葉が身にしみていた。彼女の言う通りだ。ファンがいたからこそ俺たちは成長しこうして食べていくことができた。音楽を聞いてくれている人たちに元気を届けたいと思いながら過ごしていたけれど、逆に俺たちが勇気や希望をもらえたりしてありがたい存在だった。そのファンたちを怒らせてしまう結果になるかもしれない。それでも俺は自分の人生を愛する人と過ごしていきたいと考えた。俺達COLORは、変わる時なのかもしれない……。
赤坂side「話って何?」俺は、結婚の許可を取るために、大澤社長と二人で完全個室制の居酒屋に来ていた。大澤社長が不思議そうな表情をして俺のことを見ている。COLORは一定のファンは獲得しているが、大樹が結婚したことで離れてしまった人々もいる。人気商売だから仕方がないことではあるが、俺は一人の人間としてあいつに幸せになってもらいたいと思った。それは俺も黒柳も同じこと。愛する人ができたら結婚したいと思うのは普通のことなのだ。しかし立て続けに言われてしまえば社長は頭を抱えてしまうかもしれない。でもいつまでも逃げてるわけにはいかないので俺は勇気を出して口を開いた。「……結婚したいと思っているんだ」「え?」「もう……今すぐにでも結婚したい」唐突に言うと大澤社長は困ったような表情をした。ビールを一口呑んで気持ちを落ち着かせているようにも見える。「大樹が結婚したばかりなのよ。全員が結婚してしまったらアイドルなんて続けていけないと思う」「わかってる」だからといっていつまでも久実を待たせておくわけにはいかないのだ。俺たちの仕事は応援してくれるファンがいて成り立つものであるけれど、何を差し置いても一人の女性を愛していきたいと思ってしまった。「解散したとするじゃない? そうしたらあなたたちはどうやって食べていくの? 好きな女性を守るためには仕事をしていかなきゃいけないのよ」「……」社長の言う通りだ。かなりの貯金はあるが、仕事は続けていかなければならない。俺に仕事がなければ久実の両親も心配するだろう。
司会は事務所のアナウンス部所属の方のようだ。明るい声で話し方が柔らかいいい感じの司会だ。美羽さんと紫藤さんがゆっくりと入場してきた。真っ白なふわふわのレースのウエディングドレスを着た美羽さんはとても可愛らしい。髪の毛も綺麗に結われていて、頭には小さなティアラが乗っかっている。二人は本当に幸せそうに輝いている笑顔を浮かべていた。きっと過去に辛いことがあって乗り越えてきたから今はこうしてあるのだろう。二人が新郎新婦の席に到着すると、紫藤さんが挨拶をした。「皆さんお集まりくださりありがとうございます。本当に仲のいい人しか呼んでいません。気軽な気持ちで食事をして行ってください」結婚パーティーではプロのアーティストだったり、芸人さんがお笑いネタをやってくれたりととても面白かった。自由時間になると、美羽さんが近づいてきてくれる。「久実ちゃん、今日は来てくれてありがとう」「ウエディングドレスとても似合っています」「ありがとう。また今度ゆっくり遊びに来てね」「はい! お腹大事にしてください」「ええ、ありがとう」美羽さんのお腹の赤ちゃんは順調に育っているようだ。早く赤ちゃんが生まれてくるといいなと願っている。美羽さんと紫藤さんは辛い思いをたくさんしてきたらしいので、心から幸せになってほしいと思っていた。アルコールを楽しんでいる赤坂さんに目を向ける。事務所が私との結婚を許してくれたらいいな。でも、たくさんファンがいるだろうから、悲しませてしまわないだろうかと考えてしまう。落ち込んでしまうけど、希望を捨ててはいけない。必ず大好きな人と幸せになりたいと心から願っている。そして今まで支えてくれたファンの方たちにも何か恩返しができればと思っていた。私が直接何かをすることはできないけれど陰ながら応援していきたい。